おしゃれを追求すると、逆にダサいと言う人も増えるという現実がある
このブログを読んでいる方の中には「周りからおしゃれだと言われたい」と思っている人もいるだろう。
もしかしたらあなたもその一人かもしれない。
おしゃれと言われることは非常に気分が良いものだ。
なぜかというと、おしゃれと言われるということは「外見的なルックス」の称讃でもあると同時に「ファッションセンス」という内面の称賛のニュアンスも含まれている。
おしゃれという言葉には外見と内面、二つを同時に褒めるということになるので、あなたの承認欲求を確実に満たすだろう。
ただし、おしゃれを目指すのは構わないのだが、一つだけ肝に命じて欲しいことがある。
それは、おしゃれというのは追求しすぎると「逆にダサい」と思われる可能性も高くなるということだ。
どういうことか説明しよう。
「おしゃれ」は相対的な褒め言葉である
基本的に「おしゃれ」という言葉は比べる対象がいる時に使う褒め言葉だ。
どういうことかというと、その人のファッションが他の人よりも優れていると感じた時、人は「おしゃれ」と言うことが多いのだ。
他の人よりも優れていると思わせる為には、その人独自の個性やこだわりがなければならない。
誰にでもできるような無難なコーディネートだけをしているようでは周りとの差別化が難しいからだ。
この為、おしゃれを目指している人というのはそれに比例して、個性を追求しているのである。
個性をファッションで表現することができれば、おしゃれと言ってくれる人は多くなりやすい。
おしゃれと思われるのに比例してダサいと思われる可能性も高くなる
気をつけなければならないのは、その個性を理解できない人も必ず現れるということだ。
人は自分が理解できないものを目にした時、本能的にネガティブなイメージを抱きやすい。
つまり、自分が想像できない、理解できないようなファッションをする人のことは「ダサい」と思う可能性が高くなるのだ。
だから、おしゃれを追求して個性を表現すればするほど、それを理解できずダサいと思う人も増える。
実はファッションが大好きな人ほど、この事実に気づいていない人が多い。
個性を出せば出すほど、人から評価されるに違いない、と思っている人が少なからずいるのだ。
しかし、はっきりいってそれは大きな間違いである。
それは自然の摂理からいってありえないことなのだ。
もし、あなたがこのブログを読んでファッションを勉強したい、と思っているならば
この事実は必ず理解しておいてほしい。
これを理解できているかどうかで、この先のファッションの方向性が大きく違ってくるからだ。
おしゃれを目指すのは良いことだが、周りが見えなくなって客観的な判断ができなくなる、といったことにならないように、常に意識しよう。
おしゃれを追求すると、逆にダサいと言う人も増えるという現実がある